ブラック企業の思い出

私が新卒で入社した会社は、株式会社Hと言って、多くの人が知っている大企業でした。海外でも通じたので実際に知名度もあったのでしょう。

 

ただ、そこで私は以下のような環境で働いてました。

・裁量など無いにも関わらず、1年目から裁量勤務制。

・残業は毎月100時間以上。

・土日のどちらかはほぼ出勤していた。ひどいときは両方出勤。

・勤務表への残業入力は毎回自分で入力しますが、毎月44.5時間と入力。

 退勤時間との差は自己啓発(勉強してました)と記載。

 当然、残業代は裁量勤務なので定額です。

 この入力は毎月100時間以上働けるようにするための(労基を騙すための)ものです。

・定時は22時。ベテラン職員で早く帰る人が20時くらいです。

・年休は毎年2~3日くらいは使えたかな?というレベルで、本当に体調不良の時(ちょっと調子悪いとか体温38℃以下なら普通に出勤)と冠婚葬祭以外に使用した記憶は無いです。

・給料は悪くはないけど、良くもない。

 手取りを実際の労働時間で時給換算するとコンビニバイトレベルだった記憶があります。

 

自分だけがそうではなく、職場全体がそんな感じでした。

終電を無くし会社に泊まる先輩。徹夜明けでシャワーを浴びに一度会社の寮に帰宅する後輩(そしてすぐに出勤する)などいました。

ストレスからか、罵声が聞こえてくる・・・そんな職場でした。

 

当時、このような会社が何かの雑誌の働きやすい会社ランキングで2位にランキングされていたことがありました。

何かの冗談かと思いましたが、全国に支店があり、工場も何か所かある企業でしたので、本社だけの労働環境だったら、もしかしたら働きやすかったのかもしれないです。

制度だけは立派でしたから、そういう意味で働きやすいと判断されたのかもしれません。

私の勤めていた工場でも、うつ病、自〇未遂、過労で倒れる、幹部の女性は採用しない発言、女性管理職ゼロなど、そんな所でしたが、制度だけは立派でした。〇〇休暇とかフレックス勤務とか一度も使ったこと無いし、使ったことある人も見たことなかったですが・・・制度はあったように思います。

 

当時を振り返って思うことは、入社してしまったことは仕方ないですが、辞めるのが少し遅かったかなと反省しています。判断が遅れた理由は、名前の知れた株式会社Hでさえこの有様。他も同じようなものではないか?との疑問があったためです。

当時は、今よりも口コミサイト等が少なく、判断難しかったのです。そして当時の転職エージェントも激務の職場ばかり提案してくるので、判断が遅れてしまったと思います。

 

辞めるも勇気がいりますし、正直、仕事をしながら転職活動する余裕なんてなかったですね。このような場合は、転職エージェントと面談だけして自分の市場価値を判断してもらい、もし求人ありそうなら辞めてから転職することも有かもしれません。

普通は絶対に辞めてから転職はお勧めしないですが、全力で活動できないとまた後悔しそうならば、そういうことも仕方がないかもしれません。

自分の場合は、色々あって幸い干されていた時期がありましたので、その時間を使って在職中に転職できましたが・・・普通はこのような環境で働きながら転職活動は無理です。

 

なお、そのブラック企業は未だに就活生にとっての人気企業であるようで、理系の就職人気ランキングでは毎回上位のようです。テレビCMも影響してるかもしれません。

昔と今とで多少は良くなっているかもしれませんが、私は企業文化や社風はそんなに簡単には変えられないと思っています。

就活生諸君。経験不足であり失敗は仕方がないが、その後のリカバリーを間違えないように。

 

そのブラック企業の私の同期はまだ辞めずに務めている人が多いけど、会社の文句や愚痴を言っている人が多いよ。文句や愚痴を言いながら何年、何十年と働き続けるのは辛くないかい?